三重の伝統やさい・地方やさい

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■三重なばな  
伊勢平野は、江戸時代から灯油の原料としての菜種の栽培が盛んで、種を多く収穫できるよう芯を摘む摘芯を行っていました。摘み取った茎や若茎は「摘み菜」として食用にしており、これを市場に出荷したところ、あまりにおいしいので評判を呼び、広がっていったといいます。昭和30年代には「ツミナ」として出荷していましたが、昭和40年代に名前を「なばな」に統一してJAが共同販売を開始。1989年(平成元年)には「三重なばなブランド化推進協議会」が設立されています。みずみずしく、やわらかで、ほんのりとした苦みが特徴。ゆでておひたしやごまあえにしたり、みそ汁、いためもの、パスタ、天ぷら、漬けものなどに使われています。
■伊勢いも  
江戸時代中頃、享保4年(1719)の文献に「山の芋」という記述が残されていることから、300年ほど前には伊勢で栽培されていたと考えられています。北畠家の家臣によって大和の国(奈良県)よりタネいもが持ち込まれたとも、紀州藩が「大和芋」を持ち込んだともいわれます。「伊勢いも」は、明治初期には「津田いも」、1884年(明治17年)に「松阪いも」と改称、1900年 (明治33年)に現在の「伊勢いも」と名付けられました。粘りが強く、つなぎとしてもよい材料で、とろろ汁、薯蕷(じょうよ)饅頭などの和菓子の材料としても使われます。現在では、伊勢いもはんぺん、とろろめん、焼酎などが開発されています。
■朝熊(あさま)小菜  
アブラナ科の植物で、ツケナの一種。主に朝熊山麓に広がる浅間町を中心とする四郷地区で栽培されています。すべて、代々受け継がれた自家採種で、ほかの土地で栽培すると、朝熊小菜独特の風味は失われてしまう、といいます。由来には、平安時代に弘法大師空海(774-834年)が種をもたらしたという説と、戦国武将秋田城介実季(あきたじょうのすけさねすえ)が伝えたという2説があります。1980(昭和55)年、朝熊町、一宇田町、楠南町、鹿海町の生産者が朝熊小菜生産組合を結成。栽培された朝熊小菜はすべて農協に集荷し、漬けものに加工して販売されています。
■松阪赤菜  
ルーツは滋賀の伝統野菜「日野菜」。約400年前、近江蒲生郡(現滋賀県)の領主、蒲生貞秀の子孫が松阪城を築いた際に「日野菜」を松阪に伝えた、と考えられたいます。「日野菜」は、明治時代に品種改良されていますが、「松阪赤菜」は手が加わっていないため、こちらのほうが原種に近いとされています。「松阪赤菜」は地元で長く親しまれてきましたが、約40年前に生産が途絶えてしまいました。2001年、松阪市内の農家の女性グループ「紅(くれない)工房」が、三重県科学技術振興センターに保存されていたタネを譲り受けて栽培を開始し、復活を遂げました。現在、栽培面積は60アール、この地方を代表する野菜のひとつとして、塩漬けや酢漬けに加工して販売されています。
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